三百一〜三百二十 |
書いていただいた方々、本当に有り難うございます(^^)。
人物名:荀イクin三国時代
投票者の方:マイルド・ヘブン
< fugafuga@pd5.so-net.ne.jp >
私の場合も多くの人と同じように中国史に惹かれはじめたのは三国志を以って嚆矢とするのですが、なかでもジュンイクが好きです。この間発売になった『三国志Z』では、曹操でクリアするとなかなか気の利いたエンディングが用意されています。しかし、才色兼備であったとされているジュンイクが『三国志Y』から、どうもあまり美男子に描かれていないのはなぜなんでしょう。
人物名:魏公子
投票者の方:Cay'na
< fatih@os.xaxon.ne.jp >
人物名:昶Zin新・後漢
投票者の方:ヤン太郎
< >
なぜ馮異が投票されてて昶Zがいないのかな。昶Zは河南省新野県の出身で 劉秀が兵を挙げたときに、劉秀のもとに駆けつけて「功名を竹帛に垂る」と言った 人です。そして昶Zは乱鎮圧後、大司徒となり、明宗の時代にも太傅となったそ うです。詳しくは「後漢書」昶Z伝を御覧下さい。
人物名:李淳風in唐
投票者の方:バイキー
< youhei727@msn.com >
役職は司天監なのに予言までしてしまう(100%的中)なんてこの人だけじゃあないですかね。
人物名:張良
投票者の方:FELIX
< felix@oste.net >
中国史上最高の参謀 処世術に長けていながら陰湿さを感じさせない爽やかな人 前半生の復讐鬼からの転身が見事。 孔明は暗い。嫌いじゃないけど
人物名:関羽
投票者の方:池上 哉
< kiegami@attglobal.net >
僕の人生の師匠!
人物名:李広{漢飛将軍}in前漢
投票者の方:将軍張次公
< kanji@cc-net.or.jp >
李広将軍は中学生の時から大ファンです。史記の「李将軍列伝」は何度読んでも涙が出ます。「桃李物言わざれども下自ずから渓(ホントは足へん)を成す」は長いこと座右の銘であったのですが...最近は私の方から桃を採りに行ってます。
人物名:馮玉祥in近現代
投票者の方:丁黙邨
< kanji@cc-net.or.jp >
歴史上には変わった人物が多いですけれども、この人ほど変わっている(変わり方が変わっている!)人は見たことがありません。偉いんだかなんだか。
人物名:袁世凱in近代
投票者の方:丁黙邨
< kanji@cc-net.or.jp >
近代史上誤解の多い人物の一人でしょう。「北洋軍閥」の頭目と言われていますが、これに関しては当時の歴史に即して3点ほど。
@彼自身は軍人ではない。科挙は途中でドロップ・アウトしましたが、れっきとした士人。日清戦争後に「新建陸軍」を率いるようになるが、やはりあくまで文官扱い。
A北洋軍は「私兵」とは言い難い。袁世凱と将校・兵士がいわゆる恩顧関係(御恩⇔奉公関係)を紐帯としていたわけではない。創設者ということで袁世凱の及ぼす影響力が大きかったとは言えますが。
B1916年以後の「軍閥」混戦については袁世凱に責任はない。彼は辛亥革命以後大規模な軍縮を断行し、それまで各省ばらばらに存在していた陸軍を一元的に支配しようと試みている。後年の内戦はむしろ彼の目的が果たし得なかったことによって生じたもの。
あと帝制実行にしても、単なる復古主義でも、ましてや個人の野望を満たすためでもなく、効率的な中央集権体制の創出を目指したものではないかと個人的には考えています。アテが外れたのは確かですが。結局のところ「良き総督ではあったが、良き総統ではなかった」というのが袁世凱の評としてもっとも適当であると思われます。
人物名:張之洞in清末
投票者の方:丁黙邨
< kanji@cc-net.or.jp >
いわゆる「洋務派」の大官で、かつ「中体西用論」の始祖扱いを受けておるため、一般的な評価はさほど高くありません。しかし「中体西用論」というのは当時の保守派を説得して洋務を推進するための方便であって、決して彼自身が伝統的な儒教倫理に固執していたわけではないようです。実際彼が南京や武昌で実行した「洋務」には後年清朝政府・民国政府が採用した改革政策の先駆けとなったものが多く、また義和団事件以後には中央政府に様々な提言を行って「光緒新政」の牽引役も務めています。(例えば近代的な学校制度整備など)発想的には康有為や梁啓超らの「戊戍維新」のほうが「進歩」的には見えますが、私としては巡撫・総督として長年政務の経験を積んでいた張の議論のほうが実際的で現実味があるように思えます。ただ李鴻章と比べると少々落ち着きの無さが目立ちますが...張之洞がもう少し生き長らえておれば、辛亥革命の武昌蜂起もいま少し遅れていたのではないでしょうか。
人物名:林則徐
投票者の方:大学生
< >
現在、林則徐について研究している。林則徐は経世官僚として(また、洋務論の先駆者として)清朝の腐敗した政治体制を改革しようとした人物であり、一般に知られている、阿片戦争でイギリスに対抗した英雄という一面だけでは捉えることの出来ない奥深さを秘めた人物である。もっと多くの人に林則徐の生き様を知って欲しいと思っている。
人物名:李自成
投票者の方:m41
< tamp@mutt.freemail.ne.jp >
明末期というのは歴史の混沌。
なんでもありの面白い時代です。
そのなかで李自成は一番時代にふさわしい男。中国で天下を取った最後の賊でしょう。
人物名:荊か
投票者の方:池上 哉
< kiegami@attglobal.net >
古代中国の仕事人とでも申しましょうか、映画を見て、そんな感じがしました。
人物名:鄭成功(明末清初)
投票者の方:池上 哉(はじめ)
< kiegami@attglobal.net >
中国人鄭芝竜と日本人田川氏の娘の子として生まれる。明帝国に最後まで忠誠を
尽くし、その生涯は日本でも、近松門左衛門の「国姓爺合戦」の主人公として有名。
余談ながら私は小学生の頃あるアニメ番組で、彼の一生を紹介され、日中の混血児が
両国で英雄となっているのにとても感動した記憶がある。
人物名:鄭成功(明末清初)
投票者の方:池上 哉(はじめ)
< kiegami@attglobal.net >
中国人鄭芝竜と日本人田川氏の娘の子として生まれる。明帝国に最後まで忠誠を
尽くし、その生涯は日本でも、近松門左衛門の「国姓爺合戦」の主人公として有名。
余談ながら私は小学生の頃あるアニメ番組で、彼の一生を紹介され、日中の混血児が
両国で英雄となっているのにとても感動した記憶がある。
人物名:曹操{孟徳}(魏)in三国時代
投票者の方:freak zappa
< zappa@lilac.plala.or.jp >
とてもクール(?)でスーパーマンな人だと思います。
人物名:曹操{孟徳}(魏)in三国時代
投票者の方:freak zappa
< zappa@lilac.plala.or.jp >
とてもクール(?)でスーパーマンな人だと思います。
人物名:李建成
投票者の方:S.W.
< ksowhaty@mail.goo.ne.jp >
隠太子こと李建成は、玄武門の変関係を調べているうちに、私が興味を持った人物です。 彼自身の列伝には殆ど大した記述は為されていないんですが、 高祖本紀によれば、連年、李建成は北辺の警備に出兵しており、 彼が出兵しなかった武徳7年、9年には、突厥軍が首都近辺まで侵攻し、 長安は恐慌状態に(というほどだったかどうかまではわかりませんが)なっているんですよね。 唐朝成立以後、皇帝代理として政務に当たっていた人物ですし、事実、高祖は彼に一任した後、 旅行三昧の日々でした(一応、視察のための行幸でもあったんでしょうけど)。 太宗自身、クーデターに失敗したら、本拠地洛陽から長安に侵攻する準備までしていますし、 実は大した人物だったのでは、と思っております。
人物名:蘭陵王(高長恭)in南北朝
投票者の方:西川 朋
< >
私が初めて彼のことを知ったのは、『デビルサマナーソウルハッカーズ』というゲームの中ででした。なんとなく気になって、彼について調べまくっていたところ、ふらりと立ち寄った書店にて見つけた中国武将列伝(著・田中芳樹氏)に思いっきり彼の素性が書かれておりました。安易ではありますが、強くてカッコイイということにこしたことはないと思いますし、彼の知られざる人柄などを想像しているだけでも楽しいので、大好きです。
人物名:韓非(韓非子)
投票者の方:中根大輔
< soryuu@mail.goo.ne.jp >
最近ひどく誤解が進行している思想家ですね。
彼の思想には取るべき点も非常に多いですが、そのまま現代にあてはめる
ことができるようなものではありません。「勧農抑商」と表現されるように、
農業を大本におき、商業を末とするなど、商業活動が未発達であったころの
色彩を色濃く残していますし、言論統制をおこなうことを主張したりもして
おります。彼の思想の汲むべき点は、「形名参同」と呼ばれる主張にこそ
存在し、無批判にすべてを肯定する最近の風潮には研究者の一人として危機感
をいだかざるを得ません。
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