皆様による人物紹介の頁
二百八十一〜三百

 書いていただいた方々、本当に有り難うございます(^^)。


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投票された人物について知りたいなら中国史人物雑伝


三百:Thu Dec 23 00:58:45 JST 1999

人物名:李書文
投票者の方:薫衣螢雪 < >

李書文、字は同臣。1864年の生まれ。「ソウ(さんずいに倉)県志」には、南良村の人、 八極門第六世。黄四海の弟子。と、ある。李氏八極拳の開門者(創始者?)で、 その拳は「李書文に二の撃ちいらず」と云われるほどの破壊力を持ち、 槍を取れば「その槍の鋭きこと、正に神槍」と云われるほどだったという。 日本では、まんが「拳児」、ゲーム「エアガイツ」等で有名。 その、めちゃくちゃな強さが好きなんです〜。猛虎硬爬山ーッッ!!


二百九十九:Tue Dec 21 17:35:54 JST 1999

人物名:李勣(英国公徐勣)
投票者の方:岸本二三男 < fk9469@basil.ocn.ne.jp >

李勣ほど機を見るに敏なる男はいないのではないでしょうか 世渡り上手というか 徐敬業に宛てた、駱賓王の一抔の土未だ乾かず 六尺の孤いずくにかあるを読むにつけ、憤りで腸が裂けんばかりです。心情を拙詩を以てあらわすのを許してくださいbr 詠英国公李勣(七律 仄韻の詩になって御免)br  世民鼎を定む 貞観の治/漁子 戈を揮って同姓を賜う/粥を煮る英公 情甚だ甚深く/蕃を平らげし飛将 功比い無し/悔ゆらくは、虚語を将って奸人と与し/枉げて旧恩の為に 大義に乖く/此れ從り遺臣 牝鶏に戮せられて/独り身世を全っとうするも 刺を逃れること難しbr  粥を煮る英公 李勣病気の姉のため粥をにたことがあった 牝鶏 故事あり 則天武皇 


二百九十八:Tue Dec 21 07:08:04 JST 1999

人物名:董奉
投票者の方:でんでら先生 < >

杏林。


二百九十七:Fri Dec 17 17:18:08 JST 1999

人物名:張不擬
投票者の方:へろへろりん < >

本によって名前が違いますが、張良の長男です。呂氏専横のあたりでちょろっと出てくるだけですが・・・。登場時15歳若いなあ。


二百九十六:Fri Dec 17 03:59:38 JST 1999

人物名:潭嗣洞
投票者の方:岸本二三男 < fk9469@basil.ocn.ne.jp >

屯?変法事已休六子誅身菜市頭従容就義須天意一死賢張倹謀 張倹は人名 賢は勝る


二百九十五:Wed Dec 15 13:33:14 JST 1999

人物名:張良
投票者の方: < >


二百九十四:Sun Dec 12 23:01:02 JST 1999

人物名:郭侃
投票者の方:mat < GAKU_MAT@hotmail.com >

えー、この人は田中芳樹の中国武将列伝で知りました。この人のなにがいいかというと、元という時代に地中海まで行き、フランク(十字軍)と戦っている点です。田中芳樹によると、陸路で一番西に行った武将だそうです。「極西の神人」と呼ばれていたそうです。


二百九十三:Sat Dec 11 15:15:27 JST 1999

人物名:韓非子
投票者の方:鬼才の弟子 < 62011918@waynet.ne.jp >

韓非子…思想家。戦国時代の七雄「韓」の諸公子。br 秦の宰相「李斯」と同じ門弟。はじめは、韓に使えるが、のちに秦に迎え入れられる。br 李斯が彼の能力に恐れ、始皇帝をとりこにした「焚書坑儒」は有名。br 完全法術主義を唱え、儒学を否定した。br かなり、「あく」の強い人物です。ぜひ、一票を!!


二百九十二:Wed Dec 8 22:51:44 JST 1999

人物名:王守仁
投票者の方:中根大輔 < soryuu@mail.goo.ne.jp >

号して陽明。王子(おうし)と尊称する。明の思想家・武将。
いやあ、研究対象の王陽明が1票というのはちとさみしいですねえ。
だから一票投じておきました。


二百九十一:Sun Dec 5 17:51:43 JST 1999

人物名:羅芳伯
投票者の方:おかしき < >

ゴ−ルドラッシュのときの落ちこぼれらしいです 原哲夫氏の漫画「猛き龍星」でハゲながら凛々しいその姿を目にすることができます 初投稿です。よろしく


二百九十:Sun Nov 14 12:08:40 JST 1999

人物名:李世民
投票者の方:黒猫 < g07088@med.kochi-ms.ac.jp >

続けざまにすんません。 彼と彼の父や兄を見てると「人間として善良であるということと、リーダーとして有能であるということはまるで別問題だ」ということがしみじみ分かっていいですね(←ひねてるねぇ)。 でも私は徐恵妃になりたいぜ、こんちくしょう。


二百八十九:Sun Nov 14 11:59:57 JST 1999

人物名:後漢光武帝
投票者の方:黒猫 < g07088@med.kochi-ms.ac.jp >

「妻をめとらば陰麗華」といって、その純情を貫くんだからある意味凄い。旦那にするなら絶対この人だ(^^)。


二百八十七:Tue Nov 9 04:09:02 JST 1999

人物名:孫ぴん
投票者の方:井伊子牙 < i_no-to@pk.highway.ne.jp >

連続投票最終回の今回は彼です。漢字が出ないのが非常に惜しまれます。
孫子と表記します。
孫子の魅力は青年期の親友{ほう涓}(こっちも出ない。)とのラストバトルに集約されますね。すごい。すごすぎる。!!
戦争の合間(?)にあんな悠長(?)なこと出来ませんておっさん。
ドラマや映画でも思いつかないよ。そんなイベント。ドラマよりドラマチック。
読んだ瞬間しびれましたよ。戦争芸術って奴っす。孫子の奇跡!
ちなみにこのイベントは幻想水滸伝2の方にあります。ビジュアルでイベントを見てみるのも乙ですよ。登場人物は幻想ですけどね。
ルカ様の勇姿をとくとご覧あれ。(俺は水滸伝好きです。何でも。ゲームも小説も)
「ぜんぜん違うぞこら!」
とは、おっしゃらないでくださいね。俺は好きなんですよ。


二百八十六:Tue Nov 9 03:48:28 JST 1999

人物名:鮑叔牙
投票者の方:井伊子牙 < i_no-to@pk.highway.ne.jp >

管仲がいるのに彼が居ないのはおかしい。不公平だ。気に食わん!!
違う名で有ったらすごくすいません。多謝。
と言うわけで手違いを乗り越えて恥ずかしげもなく連続投票です。

「君知らん貧時管鮑の交わり。」(たぶん)
でおなじみの片われです。彼を知ったのも小説十八史略か春秋戦国志どっちかです。
彼の魅力はなんと言っても滅私的な忠誠心です。管仲が宰相になった時の物語がそれを証明しているではありませんか。いませんて普通あんな奴。
しかし、一番惚れたのは上記の本のどちらかに書いてあったと思うのですが、彼が管仲に宰相を譲った理由です。
生来、気が小さく臆病な性質の鮑子は、
「とてもじゃないが宰相なんてやってたら2年ともたん。隠れ蓑がいるべ!!」
と、管仲に表向き宰相をさせて、その実、彼(管仲)の行った、政策のほとんどが鮑子の策であると言う恐るべき(?)お話です。
真偽の程は3:7から1:9以下であるかもしれませんが、確かめようがないので俺の中の真実です。それでも栄華を極め(?)、後世に名を残したのは管仲なので、滅私的なところは変わりません。
この説では管仲は鮑子の傀儡に過ぎません。(言いすぎ。)
それ以来、俺の目標とするところとなっていますよ彼。


二百八十五:Tue Nov 9 03:13:33 JST 1999

人物名:李広
投票者の方:井伊子牙 < i_no-to@pk.highway.ne.jp >

手違いで1票多いっす。すいません。


二百八十四:Tue Nov 9 03:06:01 JST 1999

人物名:李広
投票者の方:井伊子牙 < i_no-to@pk.highway.ne.jp >

この人が2票なんて悲しすぎる。せめて3票にせにゃ。
花栄に3票で彼が2票ではやはりオリジナルとして示しがつかないでしょう。
彼のことをはじめて知ったのはそう、花栄の出てくる水滸伝。水滸伝を知ったのは某ゲームの水滸伝(ファミコン)。ファミコンやって花栄に惚れて、本(水滸伝)読んで李広に興味を持って、小説十八史略かなんかを読んで惚れたのどす。

彼の魅力はなんと行っても弓。彼の放った矢は七色の光を残して飛んでいき岩にも突き刺さる恐るべき弓勢の持ち主であるということでしょう。
もう一つには運のなさ。
数多くの覇者たちは類稀なる強運の持ち主であるのに対して彼の運のなさは好感を持てること間違いなし。
彼主人公の小説ってないのですかねー。


二百八十三:Mon Oct 25 18:19:08 JST 1999

人物名:孟嘗君
投票者の方:近藤 仁美 < kondo@fpt.vn >

宮城谷 昌光さんの小説の影響でしょうか?波乱万丈な人生だなぁ・・・と。 まあ、歴史に残る人って、みんなそうかもしれませんけど。 偶然が当たり前みたいに起らないとそうならないんですよね。 (ああ、続けて2票いれるのって反則ですか?)


二百八十二:Mon Oct 25 18:05:16 JST 1999

人物名:周瑜
投票者の方:近藤 仁美 < kondo@fpt.vn >

某コバルト文庫の小説ではまりました。(ミーハー?)正史とか、読めば読むほど素敵!! です。(やっぱりミーハー)でも、孔明さんに出番とられがち?悲しい。 やっぱり一番好き!!ですねぇ。


二百八十一:Thu Oct 21 17:23:12 JST 1999

人物名:文天祥
投票者の方:ノンノンマダム < >

 北京にある「文丞相祠」に行ったことがある。胡同に佇む小さなその祠は、決して外国人観光客が訪れるような観光スポットではない。あくまで北京で暮らす人々に密着した、ひっそりとした祠である。彼は今なおここで漢民族の平和を願っているのであろうか。壁一面に彫られた「正気之歌」を詠みながら、気付けば涙が頬をつたっていた・・・なーんちゃって!


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