皆様による人物紹介の頁
一百八十一〜二百

 書いていただいた方々、本当に有り難うございます(^^)。


投票・投票結果の頁
最新に記帳された頁
投票された人物について知りたいなら中国史人物雑伝


二百:Sat Nov 21 02:42:20 JST 1998

人物名:荘王(楚)
投票者の方:弥七 < cobolt@tkb.att.ne.jp >

春秋の五覇の中で唯一名君といえるだろう。斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、越の句銭、呉の夫差にしろ、名臣が付き纏うが、楚の荘王にだけは名臣がそれといっていない。ということは、荘王が優れていることを意味する。


百九十九:Thu Nov 19 14:15:35 JST 1998

人物名:始皇帝
投票者の方:澤村相如 < >

いやどーも、澤村です。4回目の記帳なんですが大学のパソコンを使ってるんでメールアドレスがなく、すみません。ところでこのページをご覧になっている方で陳凱歌監督の「始皇帝暗殺」を見た人はいるでしょうか。私は見ました。いやあ、かなり期待外れでした。冒頭で荊軻が盲目の娘と刺し違えるシーンは期待させられたが、その後の展開はなまじここらあたりの歴史を知っているだけに、失望せざるを得なかった。特にあの映画のために作られた趙姫とかいう存在が不自然すぎる。秦王政の理想に感動して燕を滅ぼす名目を作るために内部に潜入して刺客を送らせ、そこで出会った荊軻と愛し合うようになる、という展開なのだが、単純で嘘くさい上に全くの御都合主義としか言いようがない。特に秦王政が子供を埋め殺したのを発見した趙姫が嘆き悲しむ場面など見てらんなかったし、大国の王である秦王自身が戦場を歩き回ってるなんてある訳がない。役者も空前の大作ということで演技に気合いが入りすぎ。中国人はいつもあんな演技していると思われたら困る。群集シーンの人数の多さはすごかったけど動きが整いすぎて今一つ迫力不足。陳凱歌も豪華なセットや無尽蔵のエキストラに舞い上がちゃったんじゃないか。歴史を馬鹿にした粗雑なストーリー展開もそうだが、もっと細かい部分での工夫が感じられない。「西楚覇王」も「阿片戦争」もそうだったが、中国の歴史劇はまだまだ洗練されてない事を実感した。翌日ビデオで胡金銓監督の「空山霊雨」をみたが、格調、洗練さ、娯楽性共に全く及んでないなと思ったものです。


百九十八:Wed Nov 18 12:37:30 JST 1998

人物名:完顔宗弼
投票者の方:豚肉丸人 < >

岳飛、韓正忠らの宿敵、カッコイイ敵役の典型という感じの方です。有能で勇敢で人格者でもあり、敵役じゃなくてもいいんだけれども
清のドルゴンといいこの人といい、何か女真族って言うと強くてカッコイイ敵キャラ、てイメージがするんですよね。それにしても投票の
名前をカタカナ交じりのカッコ悪いのにしちゃっいました。四太子(&ファンの皆様)申し訳ありません。この投票する時のこの人の名前
を変える事ってできないんでしょうか?


百九十七:Wed Nov 18 12:12:13 JST 1998

人物名:陳勝
投票者の方:豚肉丸人 < >

史上最高のハッタリ野郎!ヤケクソでおこした反乱は結局秦滅亡の原因になったし、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや!」等の
名ゼリフは今日まで引用されてるし、これなら部下に裏切られてブッ殺されても本望…じゃないよなやっぱり。


百九十六:Wed Nov 18 11:51:53 JST 1998

人物名:項羽
投票者の方:豚肉丸人 < >

個人的武勇でこの人に勝てる奴はいないでしょう。脳みそ空っぽだと思ってる人もいるだろうけど、少なくとも自分の視野(思い切り狭
いが)の範囲内では結構頭使ってるんだよね。ところでこの人と岳飛、ついでに曹操の票が増えているのは、私の仕業なのだな。
だって特筆するほど功績&個人的魅力も無い髭が長くて態度がデカイでけのおっさんや負けてばかりのインチキ軍師(こいつは文官
なんだって)が1,2にいるのは気に入らないっすから。ファンの人殺さないデネ(小心者)


百九十五:Fri Nov 6 01:00:27 JST 1998

人物名:陸法和
投票者の方:時世経久 < cap44380@pop01.odn.ne.jp >

南北代の人。生地生年不詳。若い頃坊主に身をやつしていた こともある。ある時は老人に、ある時は子供のように外見を 変えることがあったという、どっから見ても変人。正体不明。 侯景が梁に亡命してくると、なにを思ったか南郡太守の朱元 英に侯景を殺すように持ちかけている。侯景の叛乱を予測し ていたわけだが、果たして侯景の乱が勃発すると、彼は梁武 帝の子、湘東王に拝謁し「侯景軍を打ち払って進ぜましょう」 と豪語。こんな男に兵を貸した湘東王もナンだが、陸法和の ほうも、長江を下る戦船の舳先に立って大笑いしながら敵を 迎え撃ち、大いに変人ぶりを発揮。しかも圧勝している。し かもこの戦いで、陸法和は白い扇子をひらひら振り回して風 向きをあっちこっちに変えるという大業を繰り出している。 おまえは孔明か! しかしどうも本人もかの諸葛公にあこが れていたようで、軍が白帝に駐留したときは孔明をべた褒め している。その後も超能力をフル回転させて順調に武功をあ げた彼も、その変人ぶりが嫌われたのか梁を追い出されて北 斉に亡命(ウソ。本当は北魏軍が自領に迫り、自衛のためや むなくというところらしい)。北斉という異郷の地でも、予 言者やったり弟子をとって教鞭を執ったりと忙しかった彼も 寿命には勝てずそのまま亡命の地で死亡。死後、その屍はど んどん小さくなっていき、ついには消えてしまったという。 あるいは登仙譚のようでもある。彼には長年連れ添った愛人 がいたが、どうもこの女性も不倫ばっかする困ったさんのよ うで、陸法和に何となく似合っているような気がしないでも ない。 で、ここに書いたのは修飾七割と言うところなので、本当の ことを知りたい方は『北斉書』陸法和伝を読んでね。ちなみ に、その陸法和伝のすぐ後ろにある王琳伝は必読。南北朝代 を代表する名将、王琳を是非知ってほしいデス。


百九十四:Thu Nov 5 13:53:16 JST 1998

人物名:子路(仲由)
投票者の方:澤村相如 < >

いやどーも、これで三週連続3回目の記帳なんですがよろしいでしょうか。この人物を挙げたのは私の中国歴史小説の中、というかあらゆる読んできた小説、論文その他もろもろ全ての作品の中で最高傑作が中島敦の「弟子」だからであります。中島敦には他にも「李陵」とか「山月記」とかのほうがむしろ傑作と言われているが、特に「李陵」などは堅苦しくていかん。彼の小説はとにかく漢文が多く(特に私のような漢文好きにはたまらない)、それが内容に重厚さをもたせているのだが、「弟子」ではそれにうまくユーモアをからませて文学的格調の高さと庶民感覚の面白さを見事に融合させている。「李陵」は前者だけしかなく、はっきり言って中島敦らしからぬ冗漫な出来だ。作者の死亡後に発見された遺稿らしいから、このあと推敲をするつもりだったのかもしれない。「弟子」の魅力は何といって子路の一本気だが子供っぽく憎めないキャラクターの愉快かつ明快な描写だが、師匠である孔子がとても人間的に描かれているのも素晴らしい。昭和初期に書かれた下村湖人の「論語物語」という本の孔子は徹底して儒教の教科書みたいな聖人君子で、子路も単なる劣等生みたいにしか読めなく、説教臭い爺さんだなという印象しか持てないが、これが一般的な孔子観だとしたら大変悲しい限りである。中島敦の重厚でユーモラスな人間描写を現代の作家も見習うべきでしょう。例えば現代の宮城谷昌光さんの善悪輪切りの人間観などはまだまだ甘いと勝手に思ってしまうのですが。あ、他に「悟淨歎異」も大好きです。


百九十三:Thu Nov 5 01:53:34 JST 1998

人物名:武則天
投票者の方:スピナー < htns4321@blk.mmtr.or.jp >

武則天は立派な皇帝です。690年に国号を周(武周)とし聖神皇帝と称し ました。日本では淫乱女とか悪評高く酷評されてますが、その事績は、 太宗の時代(貞観の治)以上と言っても過言ではないといえます。 武則天の時代には狄仁傑や魏元忠といった傑出した人物がいたり (いつの時代もそうなんですが・・)この時代をさぐればさぐるほど面白い と思います。


Tue Nov 3 06:15:10 JST 1998

人物名:
投票者の方: < >


百九十二:Fri Oct 30 18:33:00 JST 1998

人物名:雍正帝
投票者の方:大鵬鳳明(号と字) < fd80528@kisc.meiji.ac.jp >

時代が後のほうだという利点を除いても、歴代皇帝中一番有能な人物だと思います。
興味のある方は、宮崎市定さんの『雍正帝』中公文庫を見て下さい。


百九十一:Fri Oct 30 15:44:00 JST 1998

人物名:高澄
投票者の方:橘 ゆずほ < l97m045a@ryukoku.seikyou.ne.jp >

先日記帳した際、時間がなかったため文献について半端になってしまったので、また記帳させていただきました。
東魏・北斉についての専門書ですが、まず『侯景の乱始末記』は、吉川忠夫氏著、中公新書357、1974年刊です。また『隋唐帝国形成史論』は、1998年2月に『増補 隋唐帝国形成史論』(谷川道雄先生著、筑摩書房)として出版されており、こちらはまだ手に入ると思います。この本は、 東魏・北斉だけではなく、三国から隋唐に至るまで──文字どおり隋唐帝国の「形成」までを取り上げているので、五胡十六国から南北朝までの勉強にお勧めの一冊です。
また、『資治通鑑』ですが、漢文読むのしんどいっつーことで、手抜き技を紹介いたします(でもおおっぴらにしたら怒られるので、中国史専門の人は先生に隠れてしようね)。漢文を訓読してある『続国訳漢文大成』というシリーズがあるのですが、これの「経子史部 1〜16巻」に『資治通鑑』が入っています(国民文庫刊行会、1928-1930)。東魏・北斉はこのうち9-10巻に相当します。訓読だけだけど、『通鑑』だから編年順だし、これを参考にして『北史』等を読むとかなりわかりやすいと思います。ただ、古い本なんで、大学図書館とかで探した方が良いかも…。
あ、それから高澄は、田中芳樹氏の『長江落日賦』に侯景のライバルで出ています。侯景の妻子を煮殺したり、なかなか悪役ですが、かっこいいです。(因みにちっこい蘭陵も出ています。)


百九十:Thu Oct 29 13:11:44 JST 1998

人物名:マルコ・ポーロ
投票者の方:澤村相如 < >

何だこりゃ、とお思いでしょうが、私のごひいき陳舜臣先生の「小説・マルコ・ポーロ」の推理小説と中国歴史をミックスした面白さにはまったので。他にも「景徳鎮の贈り物」や「五台山清涼寺」などがお勧めです。陳先生は最近は堅苦しくいものが多いので、ああいう半分遊び感覚のユーモラスな作品が好きな私には残念至極。


Thu Oct 29 11:26:53 JST 1998

百八十九:人物名:陳慶之
投票者の方:肉人 < >

田中芳樹の『奔流』を読んで投票します。この作品中において陳慶之はヤン・ウェンリーやナルサス卿に匹敵する実力を持つ人物
として描かれています。


百八十八:Wed Oct 28 17:54:34 JST 1998

人物名:高澄
投票者の方:橘 ほたる < l97m045a@ryukoku.seikyou.ne.jp >

私は蘭陵王こと高長恭のことを勉強してきて、卒論にもまとめたのですが、その過程で彼の父親である東魏大丞相(謚は北斉の文ジョウ[譲のごんべんをとった字]帝)高澄のファンになってしまいました。 〈br〉彼(に限らず東魏・北斉の人たちは殆ど)は、そのキャラクターも歴史的に果たした役割も、一般には知られていませんが、既存の貴族制社会を打ち破ろうとした、動乱の時代にふさわしい人物です。……と、いいましても、 その行動だけ見てると彼は笑える人です。むちゃくちゃ元気で、暴れん坊で、女の人好きで、どこか可愛い。仲間内では親しみのあまり「パパ(蘭陵の父だから)」と呼ばれていました。〈br〉残念ながらこの時代には小説とか簡単な本はないのですが、『北斉書』『北史』あるいは『資治通鑑』などを拾い読みして見て下さい。なお、専門書なら、『候景の乱始末記』(中公新書)や、『隋唐帝国形成史論』(谷川道雄先生、ちくま書房)がお勧めです。両方絶版になっていますけど……。


Tue Oct 27 09:18:21 JST 1998

百八十七:人物名:霊帝{劉宏}
投票者の方:土屋 篤史 < s96612at@sfc.keio.ac.jp >

三国志の序幕にはいろんな人物がいるが、その中でもこういう時代のきっかけをつくった人物としては高く(?)評価されるべきだと思う。
即位直後に第二次党錮の禁がおこり、完全に外戚勢力が一蹴され、宦官の天下になってしまうところから後漢王朝の不幸ははじまってしまう。その業績は、なすことほとんどが時代に逆行している。しかし、生来のケチからはじまった売官制度や宮中バーゲンセール、豪族ではなく庶民の娘を皇后にする(のちの魏王朝にやりかたは受け継がれた)、胡族趣味や書を愛して、のちの楷書ブームの発端になるなど、後世に残ることもよくやっている。
もっとも、これで王朝の権威は地に落ちて、太平道という宗教がはやって、黄巾の乱が発生している。群雄割拠の時代のはじまり。さらに、州牧制度で、従来の刺史に軍事権を持たせたこともそれを助長させた。
最後に、権力者お決まりの後継者騒動。これで董卓の中央乗り込みのきっかけをつくるのである。三国志の幕を開いた男といえよう。いや、本当に暗君の極みといった人物である。
ところで、日本にはこの霊帝の子孫なる人がいると聞いた。大和朝廷の家臣であった5世紀くらいの人物だと思ったけど……。


百八十六:Sat Oct 24 10:42:32 JST 1998

人物名:顔回
投票者の方:内田 隆 < 370−0522 >

孔子の弟子。 小説「陋巷にあり」の主人公


百八十五:Thu Oct 22 14:09:23 JST 1998

人物名:韓非子
投票者の方:澤村相如 < >

韓非が冷酷な理論家という評価は間違っている。吃りという劣等感からくる孤独の寂しさがあのような挑発的な文章を書かせたのであって、実は情の非常に感じやすい性格ではなかったかと思われる。特に韓非の説話集のユニークさからは、そのような人間の情感を無視するような冷たさは感じられない。真に冷酷な人間というのは表面的には正義を装うことは、ヒトラー、毛沢東 等を見れば明らかであろう。孔子を否定しているというのも大きな誤解である。韓非は当時流布していた薄っぺらな、単に時世に迎合するだけの孔子賛美、そしてそれに惑わされる為政者に我慢がならなかったのであって、儒教そのものが悪いとは言っていないと思う。もっとも、そう受け取られても仕方のない面はあるが。


百八十四:Wed Oct 21 17:25:34 JST 1998

人物名:梁紅玉
投票者の方:マリー < >

ざっとだけど、壱ページから見てみました。 私が投票したいのは、どなたかおっしゃっていた”韓世忠の奥様・梁紅玉です”(名前これであってたかしら) 中国史の中で女将軍は多いけど、この人ほど、自分の運命を満足するように生きた女性も珍しいと思うから。 自分の意志で物事を選んで、一生懸命生きる梁紅玉。旦那様の韓世忠を旦那様として選び出すのも 彼女ならではですよねぇ。仲良し円満夫婦だし。これだけ奥さん想い・旦那さん想いの夫婦もめずらしい。 二人の愛情に場違いな戦場でともに過ごすことが多かったけど、それでも何だかうらやましい。 個人的に、楊大眼・藩宝珠夫婦(これも名前あってるかな?)もやっぱりおしどり夫婦よね、こっちの夫婦もいいけども 私個人としてはやっぱり韓・梁夫婦。特に、女として尊敬できる生き方の梁紅玉に投票します!!


百八十三:Mon Oct 19 23:43:07 JST 1998

人物名:陸羽
投票者の方:宣和堂 < xuan-he@mx3.meshnet.or.jp >

 やあ、宣和堂であります。このコーナーも更新されたようなので、ここらでもう一人。
 陸羽、字鴻漸、捨て子として生を受け(姓名も字も筮竹の“漸”の卦である、上九、鴻陸に漸む。その羽、もって義と為すべし、吉!より取っている。泣ける)、竟陵(江西省)・龍蓋寺の智積禅師に拾われる。彼はココで幼少期を送るが、読み書きを覚えるようになると仏道よりはむしろ、儒の教えに親しむようになったため、智積禅師と対立。以後、瓦運びや牧牛(簡単そうに聞こえるが、3千頭の世話と言うから、美国のカウボーイのようなものである)などの苦役に従事させられるが、牛の背に文字を書くなどして向学心を燃やすとともに、師に反抗する。その内に「貴重な時間をこんな所で浪費するわけには行かない!」などと青臭いことを抜かし、家出をしたあげくに旅の劇団に潜り込む。だが、不細工の上にドモリであったために主角(主役)を張ることはおろか、まともな役につくこともできず、やっと獲得できたのも丑角(道化)止まりだった。しかし、読み書きが出来たために台本を書くようになり、喜劇を得意とする作家として少しは名が売れるようになった。そして、この竟陵に李林甫との政争に敗れた李斉物や崔国輔などと言った人々が太守としてこの地に赴任して来るや、その目に留まり心をつかみ文人として名声を上げるようになる。
 しかし、陸羽の名を後世に名を残したのは、戯曲作家としてではかった。寺にいた頃に覚えたのか、文士として名をあげた際に知ったのか、陸羽は茶を深く嗜み、様々な書物から茶の歴史を集めた。そして、安史の乱が起こった頃に、未だに一部の人々からは不朽の名著とされ、史上初にして史上最良の茶についての図書『茶経』を著し、後に“茶聖”として神格化されるようになる。やがて、乱を避けて呉興に移り隠士となり、詩僧として有名な釈皎然を唯一の友として、勝手気ままな隠居生活を送った。隣の湖州に政争に敗れた甲骨の士、顔真卿が太守として赴任してくると、この甲骨の士とよほど馬が合ったのか、皎然らとともに連句の会を開いたり、辞書作成のための寄り合いと称して山遊びや会食したりしている。顔真卿は陸羽のために定職ばかりか“三癸亭”という住処まで用意している。そして、陸羽は七十になる頃、生を全うして客地である呉興で鬼籍に入った。
 唐代の茶の流行は陸羽の『茶経』より始まるという。未だに各地には陸羽にちなんだ茶肆や名柄が多く、陸羽の評した数々の名水は、未だに各地で観光名所として名高い。“茶聖”陸羽は今に生きる茶神である。


百八十二: Fri Oct 16 13:02:37 JST 1998

人物名:花木蘭
投票者の方:みゆ < t0753046@pmail.tepco.co.jp >

 初めまして。花木蘭関係でネットサーフィンをしていたら、このページにたどり着きました。<br>  私が花木蘭と出会ったのは。映画「ムーラン」が上映されるちょっと前です。
 「木蘭辞」を佐藤春夫訳詞で読んで、関係図書も読んで、いろいろとイメージを膨らませていったところへ「ムーラン」の映画が飛んできたわけです。
 これから「隋唐演技」を読もうかな、と思っています。まだ映画を見ていないので映画も見ようかな、とも思っています。
 これからも楽しみにこのページを見させていただきますね。


百八十一:Thu Oct 15 14:31:38 JST 1998

人物名:耶律隆緒
投票者の方:寛ちゃっちゃ < l980581i@ryukoku.seikyou.ne.jp >

耶律隆緒は聖宗です。僕はこの人のことを知るまで、断然100%宋側の人間でした。遼なんて、辺鄙な取るに足りない国だと思っていた。ところが、本を手にして、遼の聖宗のところを読むと僕の頭の中で革命が起こった。依然として、宋が好きには変わりはないのだが、遼も捨ててはおけない大事な存在として認めるようになり、50:50の立場で、この時代を考えるようになった。だから、はっきりいって、宋はこの時代中国の中心ではなくて、遼(聖宗の時は契丹)が中国の中心であったといえてしまうのだ。疑問に思ってしまう。どんな歴史地図を見ても、宋を真ん中において遼は上の端の方にある。ひどいものなんか、遼の勢力範囲の全部をおさえていない地図もある。その当時の状況に合った地図を作って欲しいものだ。


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