九月二十五日(七日目) |
今日は貴重な体験をする。今日の目標はずっと郊外のゴシショ墓が目標。今日は7時に出発。帰国組といっしょ。出発のフロントで若干ごたごた。
再び文廟へ行く。8時にあくので30分ほど待たされる。有名人の書をじっくり見る。ハンチュウエンは質素。ウケンは見つからない。方コウジュもある。熊廷弼って清対策で成功したひとだっけ?とにかく彼を含む魏忠ケンに迫害された東林党の書がたくさん。再び平江図へ。皇帝図のところで座り込む。あああ、皇帝の系列が思い出せない。後漢は後漢だ。この時代はそうだったのか。そして前と後ろが別れている。宋は分かれていない。宋江図は城壁のしくみが良く分かる。ショ門はこの時開いていなかったのだ。それにしてもそれは南に有りすぎる気がする。双塔や文廟そばの塔もある。昨日の北寺塔もしっかりある。
そして10時を過ぎてゴシショ墓へ。トイレを探すため、乗るべき16路の線に沿って歩いて進むがトイレがない。町中から出てしまったところ(南環西路)で歩くのを諦め、その辺で小を済まし、バス停で待つ。
が、16路が来ない。ほとんどないのであろうか。しびれを切らしたところで「蘇州ーショ口」というマイクロバスが来る!ショ口が目的の墓があるとされる所だ。思わず乗る。
郊外へ。やはりこういうのを使って郊外へ行く観光客は少ない。町から遠ざかり、木なんとか鎮などを通る。ここでは少し飯屋や雑貨店がならんでいて開けていると言う感じだ。おそらく鎮の中心と言うのはこういう商店街のようになっているのであろう。やがてショ口へ。いまいちどこが中心か分からないがおばさんが何か言ったので降りる。さて、なにもない、といっては失礼だが、とにかく観光客が来ないようなところである。詳しい地図も持っていない郊外に放り出され、改めて結構無謀なことをしているという気がしてくる。だが西側にあるとのことなので、少し降りそこなったのは正しいであろう。
なんか大通りから入る小道が怪しい。自転車の人が時々入ったり出たりする。遠くには禿山(片面は緑の丘)が見える。しかし分からないのでいったん雑貨屋があるちょっと開けた場所へ歩いて15分ほど戻り、そこで聞く。2個所で聞くがさっきの小道あたりを指差される。が、言っていることは分からない。ゴシショの墓を理解したのかも分からない。
「きっとそうに違いない」と思い込み、そこへ。小道から大通りへ、大通りから小道へ行く通りすがりの人にたずねまくるが、理解してもらえない。何か言ってくれても具体的に場所を教えてくれず分からない。しかたなく進む。あ、墓が。が、キリスト教の墓地だった。が〜ん、さっき教えられたのはこのことか?丘に墓碑がたくさん。丘の裏側の禿山は砲撃場なのか大きな音がする。
結局諦めて大通りに戻りさらに西へ進む。しかしかなり見通しがよくなるがサンヨーの工場があったりするだけで、左右にそれらしいものはみえない。しかなく戻りかけスプライトを買ったついでに諦め半分で雑貨屋のおっちゃんに聞く。そうすると「湖鮮酒店の敷地にある」という話を聞けた(筆談)!偉大なり、書いてくれてありがとう!!光が見えた。その場所は手をさして見える所。
そこへいく。酒店はどうみてもやっていないようだ。番犬と門番のおっちゃんがいる。やり取りした所、勘違いしたりもしたが、ようやくもっと西側の龍華服飾工場近くの文化駅(文化センター)に碑はあるという。やったあ。あまり深く考えずに向かう。
しかしまず文化センターが見つからない。みんながさした所は老人大学しかない。ようやくそこでおばさんに聞いたら慣れたようすで紙に地図を書く。さらに西にあるらしい。また見つからずうろうろした結果発見。文化センターって建物かと思ったら商店街の単なる一部屋。そこのガラスのドアは開きっぱなしで中に碑がごろんと横になっていた。あった。あった。感激。がよくよく考えてみると1988とかなんか書いてある。あ、新しいのかぁ。その時はあまり真剣に考えなかったが、ともかくも塚を見てみたいことに気がついた。
再び湖鮮酒店門番のおっちゃんと交渉。散々のやり取りの末、お金を払う。20元。入って草をかき分けていく。
もはや盛り土さえない。しかも草はぼうぼう本当にここなのか。おっちゃん曰くここに碑はたっていたらしい。あまりに草ぼうぼう。ごみも捨ててある。往時を偲んで感慨にふけるにはちょっと無理がある。しかしここまでたどり着いたと言う思いは筆舌に尽くし難い。おっちゃんに聞くと毎年外国人が来るらしい。
さてやっと戻ろうとする。11時ごろについて歩き回ること既に3時。飯も食わず足には豆が出来、水脹れになっていて痛い。無駄だった感じはしないが疲労感は流石に否めない。だが45分待っても蘇州行きのバスが来ないのだ。呉県県城行きはたくさん来るが、蘇州行きは来ない。呉県県城もいまいち場所がつかめない。そういえば蘇州ーショ口は来るときも本数が少なかったなあ。こういう所で取り残されるのは致命傷だ。警察騒ぎにもなりかねない。
そこへタクシ。乗る。メータがついており10元から始まる。何か言われるが疲れもあり「分からない」と言っただけで答えない。ホテルへ行く予定を変更して再び盤門へ。63元。盤門の前では骨董の露天売りが。太平天国コインをゲット。ゴシショ廟は新しく出来たものだった。宋平江図にもあるのだが、完全に再建したのであろう。像しかない。とにかく盤門すごい。門を閉じるための穴、機構がある。どうやって使ったのだろう。とにかくおもろい。塔を見ながら城壁を歩く。塔がある。この塔のいわれはかなり古いらしく、宋平江図でも同じのがある。解放路へ向かう。梨を買って戻る。寝る前に食べたら甘くなかったでも良い。夜店で手提げ袋を10元から6元に、水筒を7元で買う
シャワーを長めに浴び、ねる。