九月三十日(十二日目) |
ああ、今日は良い日だった。今日のような休日の生活をすると中国に住んでみたいと思ってしまう。
といっても昨晩は体調すぐれず食事を2回も戻してしまった。考えてみれば病気で胃腸が弱っているのに食べ過ぎ。いつもの通りの調子で、目の前に並べられた食べ物をがつがつ食べていたのだからそうならない方がおかしい。で、今日からは食事を控えることにする。
さて、本当は太平天国天王府、ク園に行き、午後南京博物院に行こうと思っていたのだが一昨日そこに行ったI先生の情報で11時45分から2時までは閉まっていて午後は5時までということであり、私の場合、もし充実していたら午後の時間ではとても足りなさそうなので、取りあえず午前から南京博物院に行くことにする。
ついたのが10時。最初は大したことないかなあ、と思っていたのだが、まわってみると、ひ、広い。午前だけで回ることは早早に諦める。いやあ、北京の歴史博物院(現在の状況は知らない)の系統の、従来の雰囲気の博物館である。薄暗い展示、若干貧相に感じるショーケース、でも文物は充実していて、説明もまあまあある。好好!
最初に入る2階は玉の部屋、青銅器の部屋、漆の部屋、陶磁器の部屋などに別れ、途中から降りれる1階には中国通史の展示、中国の多民族性を説明した展示、中国の技術や思想などを述べた展示、考古学発掘に関する展示などに分かれる。2階はそういう分類なので、はっきり言って時代は無茶苦茶。玉でも古玉と新玉が隣同士にならべているとかだ。
とにかく文物は豊富。いやあ、いいなあ。説明は部屋の2,3個所にしている程度でそんなに詳説ではないが、まあ中国語が読めない私にとってはほどほどだ。もっとも、文物の量としてはたくさんあるが、素人の私が1,2時間でも眺めていたいような珍奇なものはあんまりない気がした。というか、あってもたくさんの文物に埋められてしまう気が。
でもこれだけ多いと注目してしまうものはいくつか当然ある。まず筆頭は人首蛇や人首魚。説明によれば神的な存在はこういう感じらしい。たしかに中国神話ではこういうのがあり面白い。今回の展示でもあったが古代の神医、扁鵲は人首鳥で表現されたりする。サンセイタイでも人首鳥があった。
しかもこの展示の人首蛇はなんと南唐のようである。それゆえ、違和感を感じないこともない。このころにもそんなふうな信仰があったのであろうか。それとも南唐と言っても、当時残っていた原始的な集落のものなのであろうか。面白い。
青銅器は珍奇なのはほとんどない(気がする)。所蔵品は珍しいのを置いているようだが展示していない。残念。新玉は清時代ので奇麗なのがある。というか葡萄を表現した玉製品があって、これは凄い。葡萄の房自体は本当に汁が滴ってきそうな感じだ。宋時代の玉製品もまああった。
陶磁器はまあ無難。今から考えてみると蘇州博物館の陶磁器はこの博物館のものよりはるかに珍奇なものが多かった気がする(といっても例のごとく明清だけど)。まあでもこの博物院でも黄ユウとか祭紅、祭藍は奇麗だった。ちなみに後者は実は聞き覚えがない。忘れているだけかもしれないけど。深い藍色で実に奇麗である。金属でその表面に緻密な模様を描く琺瑯は別名、その広がった時代を冠して「景泰ラン」というが、ケイタイ時代の景泰ランがあって興味深かった。でも珍しくはないのかな。
漆製品は古くから中国にあったということを最近知ったのだが、その展示もあった。だが大部分は新しい時代のもので、その細工には目をみはるがたいして珍しくない気がする。が、が、が、リョウチョ文化出土の漆製品があった。黒陶に漆で模様をかいたものらしい。正直言って表面が漆なのかよくわからないが、漆としたら本当にすごい。こんな時代までさかのぼれるとは思わなかった。今でも高級品とされる漆製品が、新石器時代の末から使われているとは。
1階の展示もそれぞれまあ視点などが興味深いが、結構圧巻なのは考古学成果であろうか。コウソ省での考古学発掘現場のレプリカ(展示品は本物?)が7,8個所並べられていてまあまあイケている。1つだけならなんともないが、これだけ集めてくれると楽しい。その部屋に並べられている陶器はあまりに多すぎ。それでわけがわからない。南京博物院の所蔵品が多いことを改めて知らされる。
1階の中庭には各種の碑が壁に埋められている。時代も結構いろいろで一番古いのは漢時代のもの。おそらくこの時代の碑はかなり珍しい。その他、唐時代のものとかもあったりするが、主に墓碑である。また、一方には硯碑がある。これはよくわからない。硯をそのまま碑にして文章が書いてある。あれ、そういえば以前にも見たことあったかなあ、どっかで。有名な人の硯とかを碑にして残したものだろうか。細かく文章を見なかったのでそのへんはよく分からない。
それにしても書画がないのが大変残念である。前述した南京市博物館では書を見せてもらって感激したが、やはり書画は痛みやすいのでそうそう展示しないのであろうか。残念だなあ。石刻に関してもあんまりなかった。でも羽人のはあったな。あと七賢の拓本だけはあった。
この博物館ではやたら骨董品が売っている。拓本とか、青銅器とか、陶磁器とかいろいろ。所蔵図録を買ったがこれが350元と無茶苦茶高い。なんだか買っておきながら非常に損した気分。
以上は全体の感想だが午前中1時間半では半分をさっと見ることしか出来ず、お昼は近くの明の故宮跡に向かう。昼飯はチキン1つ。中国はどうしてこう屋台の飯にすごいおいしいものが売っているのであろうか。こういうのがありながらケンタッキーが広まっているのがよく分からない。書き損ねたが、特に昨日の朝に新街口近くの屋台で売っていたチキンは頼むと仕上げとして油で揚げてくれ、熱いのを渡されたのだがこれがケンタッキーに対抗するような独自スパイスでイケすぎであった。
で、それはともかく故宮は礎石しか残っていないようだ。あと門もある。門は孝陵にあった金大門と似ている。上にも登れるが、上の宮殿も礎石しかない。いやあ、のんびりしました。門を見ながら木の下で寝てしまいました。1時間近く。ベンチには夫婦とかおじさんとかが同じようにのんびり休んでいて、いかにも憩いの場という感じだ。昔、明の洪武帝が闊歩したところでのんびり休めるというのがなんとも気持ちいい。南京に来たときには天気もあまりよくなかったが今日はばっちりだ。
さて午後の開館、2時が迫ってきたので向かう。その前に北側へ。というのも、故宮公園は南北に分かれており、南に礎石群などがあって1元する。で、北側も見ることにした。北は入り口が店などの整備されている広場になっているが、その北は草ぼうぼうの空き地なようだ。周りは塀があり、これが故宮くさいが当時のものかは不明。鉄柵を越えて草地の中で考古研活動をしたかったが時間がないこともあり諦めた。
さて午後の鑑賞。で、終わりだがそれにしても館のおばさんたちは4時半すぎでさっさと帰ろうとする。中国のこういう博物館一般に言えることだが閉館より2,30分前からすっかり閉め支度に入る。つまり滑り込んでみるとかは出来ない。おまけにこの博物館のように昼間は2,3時間休んだりするし。
帰りは新街口の東の新華書店による。ここで百人シリーズをゲット。で帰路につく。あんまり正確な待ち合わせをしていた覚えがなかったのが、遅れてI先生を心配させたらしい。彼は今日行った所が南京市博物館が閉まっていたり(昼休み?)、鄭和記念館が工事中だったり、太平天国天王府が半分だったりして散々だったようだ。
夕飯はI先生と食べるが昨日のこともあり、目の前に出された食事を無念ながら控えめに食べることとなった。一昨日買った果物を食べたがこれは種ばかりでくえん。
明日は上海へと行く。明日泊まる所がネットに繋げられるか不明のため、この日記が旅行中にアップさせるものとしては最後かもしれない。