夫れ河に沿いて下り苟に止まらずんば |
2000年4月6日
「私的中国史調査会」ホームページを立ち上げた時、「私的」という言葉は主に「個人的に」「素人として」という意味で考えていました。
つまり、専門家ではないという表明であり、素人としての開き直りであり、また専門家を目指すことを半ば諦めている悲哀を含んだ言葉でもありました。東洋史学での勉強し直しを決心したとき、その名称をどうするかが私の心の中で問題となりました。専門家を目指して、または目指す場で学んでいる人々は「私的」とは言えないだろう、と私は思っていたからです。
さて人生の練り直しを図って会社を辞める時、父親と半ば言い争いのようになりました。その時、サラリーマン出身の父親は
「お前が会社を辞める理由の『勉強したい』だけでは将来の仕事にならないんだよ。
勉強してそれで終わるだけでは自己満足に過ぎず、生活の糧にはならないんだ。
だから、良く知らないけど研究者は教育とかを一緒の仕事として課せられるんだろう?論文とかだけじゃ飯の糧にはほとんどならないはずだよ。
特に歴史とかは実学ではないし、社会からは一層認められにくい。勉強したいだけじゃなくて、それを生活の糧にする将来の見込みがきちんとないとなあ」
と言いました。「勉強するだけでは飯の糧にはならない」。
まさしくそうなのです。だから生徒も学生も給料が貰えないのです。
私の大学入学の目的の一つには、勉強後に中国史に少しでも関連する職業に就くことがあります。けれども、実は私にとって関連する職業につくことが本当の目的ではないのです。真の目的は一生の間に出来る限り、中国史を楽しく面白く「学び」「味う」こと。関係する職業を目指すのはそれを実現する手段に過ぎません。今よく「生涯学習」という話が言われます。詳しいことは知りませんが、この学習というのは別に生活に役立つために行う性質のものではないでしょう。私が学ぶ姿勢は結局、それを持っている人とほとんど同じ土台な気がしています。
私にとって中国史は生活とは何ら関係のないものでした。私は歴史を学ぶことから実利的なものを得ようとするつもりはなかったのです。それでも少しづつ、中国史を読み続け、知り続け、味わい続けようとしました。高校時代も、工学部生時代も、技術系の会社にいた時もそうでした。
そうすることが、とにかく面白かった、楽しかったのです。「一人であろうが、自分のために、自分が知りたいから、自分が好きで中国史を調べる。そしてその知りたい心たるや、どこかの団体に所属して、義務となっているが如し。」
私的中国史調査会のこの表明文は、実に私の心意気を示しており、今となんら変わるところがありません。結局のところ、私が歴史を学ぶということは、父親が言ったように限りなく「個人的」に近いことだという気がします。たとえ「公的」上、勉強する義務、研究する義務がある立場になったとしても、私がそれを選んだのは「自分自身が学びたいから」すなわち「私的」であることに他ならないのです。
そう思い至ったとき、ようやく「あ、『私的』という看板を降ろす必要は全く無いじゃないか」と思い至りました。
大学で学問を修めるには期限があります。
職業というものには普通定年があります。けれども私が中国史を学ぶのは大学に在籍しているからじゃないし、それに関係する職業に就くからでもない。
幸いにして将来、中国史に関係する職業に就き、定年まで勤めたとする。
残念ながら、中国史に関係しない職業に就いたとする。
それでも私は中国史を学び続けたいし、味わい続けたい。少なくとも今はそう思っている。「私的」な部分こそが私の中国史への原動力であり、私にとって一番大事な部分なのです。
私的中国史調査会はこれからも私的中国史調査会であり続けます。