この度、私たち元上組において、この『仏事のしおり』をまとめ、皆さんにお届けすることができることをたいへんうれしく思います。

ご門徒の皆さんから、葬儀や法事あるいは日常のお仏壇のお給仕などにおいて、どうしたらよいかという質問をよく受けます。

また、宗派によって、あるいはその地方の土地柄や風習・習俗によっていろいろな違いがあるものだから、いざ自分が当事者としてその場に行き当たった時、「仏事とはなんと煩わしく窮屈なものか」という感慨を持たれる方も多いと思います。

そして一方において、浄土真宗門徒のことを、「門徒 もの知らず」という偏見に満ちた言い方をされることもあります。しかしこれは、浄土真宗のみ教えは、迷信・俗信・加持祈祷の類に惑わされるようなことはないという、「門徒 もの忌み知らず」というみ教えの核心に迫る大切な言葉が、いつのまにか「門徒 もの知らず」という軽蔑的誤解に満ちた言葉に置き換えられてしまった結果生じた言葉のようです。私たちもまたややもすると、その言葉をあいまいのまま安易に受け入れてきてしまったという反省は否めません。

しかし、私たち浄土真宗の門徒は、み教えや仏事に関して、「もの知らずでよい」ということは決してありません。もしその言葉を安易に取り違え惑わされて、「如来のみ心にそぐわない仏事」を執り行っているとすれば、それはたいへん恥ずかしいことです。

浄土真宗の仏事にも一定の作法やきまりがあります。「如来のみ心にかなう仏事」があるのです。「信は荘厳(しょうごん)から」という言葉がありますが、それは、「お荘厳の作法によって如来さまのご本願を聞き、それがすなわち信心をより一層深めていく」ことにつながるものと信じます。

そんなことから元上組では、蓮如上人五百回遠忌記念事業の一環として、とかくあいまいになりがちなこれまでの日常の仏事のあり方を反省し、「如来のみ心にかなう仏事のあり方」を求めて、日常の仏事の指針になるものを作りたいと心がけてきたものです。

当初の計画では、「葬儀のあり方」を中心にまとめようということでしたが、話し合っているうちに、浄土真宗のみ教えのもとに信心をより確かなものとして実践の場に生かしていくためには、日常の仏事全般にまで及ばなければということで、このように幅広いものになりました。

私たち僧侶も、この冊子の編集に携わって以来、今まで気づかなかったことや、あいまいにしていたことを改めて知るようになり、たいへん勉強になりました。

どうぞ、折にふれ場に応じて大いに活用していただき、浄土真宗門徒として、「如来のみ心にかなう仏事」を心がけ、日常生活の中で信心をより一層深め確かなものにしていくための指針の一助にしていただけたら幸甚に存じます。

初めての試みで、いたらないことが多々あるかと思います。皆さんから忌憚(きたん)のない率直なご意見やお考えを寄せていただきますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。

なお、本冊子のカットは、浄土真宗本願寺派少年連盟編集の『伝道教化カット集』『ほとけの子どもカット集』を活用させていただきました。御礼申し上げます。

一九九九年 九月

浄土真宗本願寺派新潟教区
元上組組長 佐々木 信義


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